「外国語副作用」と同じ「理屈で新分野副作用」というのは無いのだろうか?

放送大学の前期に試験が迫っている。

認知心理学(’13)|KAMOKUNAVI - 放送大学」の勉強をしているが、最初からまた繰り返すのはどうかと思い、最終回から復習しようと考えました。

この階での講義の中で「外国語副作用」(外国語副作用 - Wikipedia)と言うことを学びました。

外国語で話しているときに思考ができなくなる(困難になる)というものです。

これは、母語処理と、思考をするエリアが狭いエリアで両方の処理を行わなくてはいけないがその容量が足りないために起こる現象です。

当然相手の言っていることを理解せず思考をすることはできないため、母語処理を優先することになります。すると思考を処理するエリアの確保ができなくなり思考ができなくなると言うことになります。

そこでふと考えました。

新分野副作用、というのは無いのだろうか?

と言うことです。

新しいことを学習したり、小説を読むにしてもいつも時代物の小説を読まないのに読んでみたりすると、思考が停止状態になってしまったような気がします。

これは、新しい分野の学習が進んでいくと少しずつですが思考ができるような気がしてきます。

小説についても同じです。同じ分野の小説を読んでいると読書の速度も速くなりますが、理解もできるようになってきます。

 

何事も勉強と言うことでしょうか?

新しい分野は結局日本語であっても、日本語にかなり近い外国語のようなものなのかもしれません。

 

認知心理学 (放送大学教材)

認知心理学 (放送大学教材)